年賀状

三連休の最終日。

 

クローゼットの中に眠っているものを整理していた。

取り出すのは少し面倒なんだが。

 

その中に、小学校時代にやり取りしていた年賀状が出て来た。

色々見てると懐かしい人物がたくさん出てくる。

 

小学校6年の時の連中の同窓会やったのだって10年前だし。

皆それぞれ音沙汰がなくなった。

この年にでもなればみんなそれぞれ変わってることだろう。

それは置いておくとして。

 

年賀状をあさっていると、

その中に、幼稚園時代の先生とやりとりしたものがあった。

自分は3年保育で、1年目に担任の方だった。その後2年間も大変世話になった。

よく怒られたりしたけど、どちらかと言えば褒めてもらったほうが多かったような気がする。見ていて色んな思い出が蘇ってきた。

 

その先生とやり取りしたのは、99年の正月が最後だった。

 

翌年、がんでその先生は亡くなった。確か当時63歳ぐらいだった気がする。

母親が当時幼稚園の保護者仲間からその訃報を電話で聞いて目を真っ赤にしていた。

家族や兄弟共に世話になった方だし、うちとしては大変世話になった先生だから。

 

先生のお通夜と告別式も参加させていただいた。

 

先生の亡くなった年。その幼稚園は諸事情により廃園になった。

 

今その場所は、マンションになっており当時の面影はない。

 

うちの自宅から5分程度のところにあるけど、行く機会がないからあまり通りがかることはほとんどない場所にある。

 

半年前、その場所をたまたま通りかかったけど、「そういえばここにあったんだっけ」なんて事を思い出した。

 

先生は今頃何を思っていることだろう。

 

結局、年賀状すべては今回破棄することにした。

取っておいても仕方ないから。

 

年賀状を見て振り返って、いろんな人に世話になったし、迷惑もかけたなと。

 

年賀状捨てたとしても、みんなの事嫌いだなんて思ってないから!

 

本当にみんなありがとう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年

2018年1月1日

年が明けた今日。

 

本当に年が明けたのか思うくらい実感がない。

 

年末はボロボロだった。

27日あたりから風邪ひいて最悪な体調だったし。

風邪ひいたのだなんて、何年ぶりだろうってくらい久々だった。

 

28日は、たった2時間で早退するし、

その後、地元近所の病院で診てもらい薬もらって。

 

29日会社最寄り駅まで行ったけど、

やっぱり具合悪くて会社行く途中で引き返す羽目に。

仕事納めだというに何やってんだと。

その日の夕方、オフ仲間との忘年会も欠席したし。

人生初の最悪な年末となった。

 

今はだいぶ良くなったけど。

 

さて来年はどうするか。

 

今の時点でなにも目標もない。

困ったもんだ。

 

とりあえず初詣にでも行ってみるか。

 

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2017年総括

2017年はどんな一年だったか。

 

山あり谷ありで、両極端だった気がする。

 

1.仕事について

自分の担当部署で、3月をもって移動する人が多く、増員させると思ったが、増員なし。そしてそのまま、4月から職場が新体制になる。

 

人がいなくなったので8月中旬まで、今の仕事を1人でこなす羽目になる。

休みも全く取れない状況に陥る。なんせ2.5人分の仕事一人でやってたんだから。

 

正社員は、自分の仕事について、まるでほとんど関心なし。

一人でこなせてるんだからいいんじゃないの?見たいな感じだった。

上にも相談したが、ガム食いながら人の話聞いてんだが、聞いてないんだが、

まったく聞く気なしで、当然動く気もない。

 

これはもう終わりだと思い。

上を含め社員どもに頭にきて、退職を半分考えるようになる。

 

その後、8月終わりから一名増員することになった。しかし、なかなか意志疎通が難しい人で、教えるのに四苦八苦する羽目になる。おまけに人間的にも少し問題あるのは困った人であった。居ないよりはましだけど、居ることで少々助かっている。

 

だが、この増員がいなければ、たぶん確実に死んでいたな。

 

そんな中、オフ仲間に支えられたりして、なんとか乗り切ることができた。

 

2.プライベート

大旅行を2つほど実行

 

①9月13,14日に立山アルペンルート

立山はほぼ交通機関(ロープウェイとケーブルカー)での移動だから、そこまで体力は使わない。けど、頂上付近の室堂は非常に寒かった。

景色は非常に良いところだった。いずれまた挑戦したい。

翌日は、富山市内を観光。富山ブラックと鮨などを堪能。

 

②9月30日から10月3日まで沖縄へ

 飛行機降りて思った一言は、暑い!10月でも本州の8月並みの気温だということ。

なんといっても海が非常にきれい。生で見たものはやっぱりちがう。

飯も独特だけど、なんせうまいし、なんていいところなんだと思った。

 

一回だけでは物足りない、毎年行きたい場所だと思った。

来年も、時間と予算がある限り、いろんなところへ出かけたい。

 

③一眼レフデビュー

3月にニコンD7200を購入。

 

元々、航空機撮影をするためにほしいと思っていたもの。

15万と人生初の高額の買い物でもあった。

 

買ってからは週末、羽田や成田など、主要空港に足を運んでいる。

 いい趣味が一つできた。

 

立山、沖縄にも持参し大活躍った。

でもね。いざ持っていくとなると重いのが難点だけど、

持っていかないと寂しくも思い。

 

④悲しい出来事

こんなことがまさか自分の人生にあるのかと受け入れられず、辛くてたまらなかった。なんでこうなってしまったんだろうと。居なくなって寂しく思う。人にあまり話せない色んな事を心置きなく話せる仲間だったのでとても信用していた。無力感を感じてしまい、自分を責め続けたけど、最終的には、自分の力ではどうすることもできなった。未だに考えてしまうことはある。今は、少しだけ、立ち直れたのかな。立ち直るのは至難だと思う。何か吹っ切れるものを探さないと。

 

3.最後に

山あり谷ありの2017年だったけど。

振り返ると周りの人に支えられていたなと実感。

だからこそ今この場にいるんだと思う。

 

2018年はどうなるかだなんてわからないけど、

腐らないように、今でも一歩成長できる自分でありたい。

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人生

この世に生まれて31年。

 

31年生きてて、いろんなことがあった。

 

人それぞれ、生きていればいろんなことがある。

 

楽しい事、嬉しい事、悲しい事、苦しい事。

 

人生できれば、楽しい事と嬉しい事ばかりであってほしいと誰もが思うはず。

 

実際は、悲しい事、苦しい事ばかりだ。

 

それに予期せぬ出来事たち。

 

こんなんばっかでは、人生嫌になるわ。

 

でも、その中に楽しい事、嬉しい事があるわけであり。

 

それを楽しみに、人は悲しい事、苦しい事を乗り越えていく生き物なんだろうな。

 

人生は日々修行そのもの。

 

その修行ってやつは、自分らに様々な試練を与える。

 

小さなものから大きくて抱えきれないものもあるかもしれない。

 

でも逃げてはいけない、自分も沢山あった。逃げたくてどうしようもないような事。

 

でも、もちろん途中で逃げ出したものもあるけど。耐えられそうなものは極力耐えてきた。

 

何で自分ばっかり損ばっかりしてんだろ、何まるで罰ゲームじゃんって妬んだりしたこともあるし。

 

その中には耐えて良かったと思えるものもあるし、それによって心に傷を負ったりした。それを今も引きずっている部分もあったりする。

 

死んだやろうと思った事も何度もあるし、ODかました事もあるけど死ねなかった。もっと違う死に方考えれば死ねたのかもしれないけど。

 

人生って恨めないよ。

 

ある意味生まれた時から運命決まってるようなもんだもん。

 

でも決まってだとしても、生きなきゃいけないんだよね。

 

とにかく生まれてきたことには意味があるんだから。

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12月

カレンダーはのこり1枚となった12月。

 

先月の大きな出来事をかなり引きずっている。

 

あれから、時間の感覚がおかしくなってしまった。

それだけ自分の人生で経験したことのない出来事だった。

 

色々考えてしまって、やらなければならない事に手がつかなったり。

 

でもいくら考えったって答えは出ない。

俺が助けたとしても、彼女を縛り付けるのと同じ事。

彼女は縛られることに対して好ましいと思っていない。

俺にはどうすることもできなかった事なんだ。

ただ黙って見守るしかなかった。

 

でももう一か月。

 

いつまでもうじうじはしていられない。

 

俺自身がこんなんじゃ彼女は成仏しない。

 

とにかく頑張らないといけない。

 

苦しさはまだあるし、しんどい。

 

このままでは、自分が腐ってしまう。

 

だから前に進むんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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恩師

今月上旬未明。

元彼女が亡くなった。

 

出会ったのは、ちょうど2年前、共通の友人の紹介だった。

その時にLINEの連絡先をやり取りした。

自分からも連絡なんてそんなしないだろうと思っていたし。

 

付き合うだなんて、その時は思いもしなかった。

 

彼女とは、共通点がたくさんあったりして、そのおかげか、いろいろ話があった。

 

なんだかんだでうまくはいっていたと思っていたが、結局、一年もしないで相手から別れを告げられしまったけど。

 

別れた1ヶ月半後、

 

いきなり連絡が。

 

それから、ちょくちょくやり取りしたり、電話で話す事もあった。

 

一度会おうと約束したが、好きでもないのに会う理由がわからないという理由だった。

 

そして、『もう私からは連絡しないから』と告げられ、それ以降やり取りすることはなかった。

 

「もう二度と会うことも電話もできないのか、もう終わりか、もう忘れるか」と思って、彼女と撮った写真は封印したつもりだった。

 

今年の7月下旬に突然連絡がきた。

 

正直寝耳に水だった。

 

「一切私からは連絡しないと言ったはずなのに」

 

その時、彼女は2か月間程度、入院していた。

 

一時帰宅をしているときのことだった。

 

本格的に治療したいという本人の意思で、家族と話し合って入院を決めたそうだ。

 

連絡来たときは正直うれしかった。

 

「もう一度やりなおせるかもしれない」

 

けど、最初は、付き合っていた時に我慢して言えなかったことを文章にまとめて、

責め立てられる形だったけど。その件については、自分はきちんと謝罪した。

 

彼女は、なかなか自分の思う気持ちを正直に出せないようで、付き合っていた当時のことを相当我慢していたとのこと。要は、イエスマンになってしまい、言い返すの苦手であったという。それは、逆上されるという恐怖があるという理由だった。

 

自分はそんなことは言わないし、言えることはなんでも言ってくれと。ラグビーのようにタックルする勢いでね。とその時告げた。

 

一時帰宅を終えて、再度入院する前に、自分の誕生日と被っていた。どうしても、祝いたいとのことで、自分の誕生日当日の夜21時頃電話すると入院前に告げられ電話番号を教えた。

 

相手の電話番号は教えてくれなかったけどね。

 

当日、公衆電話から電話があった。

 

「お誕生日おめでとう!!」と祝ってくれた。

 

付き合ったのは2015年11月、2016年8月は別れた後だったから、直接電話で祝ってくれたのはこれが初めてのことだった。

 

退院後も頻繁に連絡を取り合ったりしていた。

 

 でもすぐにヨリを戻すということはしなかった(戻ることはなかったけど)。

 

‪ヨリを戻すことで、また傷つくのが怖いという理由だった。

 

自分も彼女がせっかく入院し治療に対して、今まで以上に取り組む姿勢になったのだから、彼女の治療に対して水を差したくないと思い、少しヨリを戻すには時期尚早だと思っていた。

 

9月に2回、10月に1回、彼女の地元の方で、直接会う機会があった。

 

電話でも話せるだけでも十分なのに、会えるだなんて最高の贅沢である。すごくうれしかった。

 

 

ずっと続くだろうと思っていた矢先。

 

彼女からDMが来た。

内容は死をほのめかすことだった。

 

内容を見た限り、気が動転している様子で、「とにかく落ち着いて」と、声をかけることしかできなかった。

 

その日の夜もDMでやり取りした。

生きていたということだから正直安心していたが、気持ちは変わらず。

 

そして翌日の昼に連絡が

 

彼女「ごめんね」

自分「謝らなくてもいいんだよ」

彼女「ごめんなさい」

自分「謝る必要ないんだよ」

 

病気があまりにも辛く、

自分のかけた言葉に対しても、気持ちだけ受け取ると言われてしまう。

 

 

彼女の気力体力は、限界を通り越しているようにも思えた。

 

余程しんどくて自身ではどうすることもできない苦しみだったに違いない。

 

一瞬、スカイプで通話することも考えたが、彼女の負担を考慮し、DMに頼ることにした。

 

以前から死にたいとか消えたいとか、働く事もできないし、夢も希望もない。というのはから彼女の口から何度か聞いたことはあった。

 

付き合っていた当時、一度だけ本当に危機があったけど、その時は踏みとどまってくれた。  

 その理由をある時、自分にこう話してくれたことがある。

『自分が死んだ時、みんながもがき苦しむ姿が思い浮かんだから』と。

 

だから今回も踏みとどまっていることを祈るしかなった。

 

助けに行くべきか、そうしないべきか。悩んだが行かなかった。彼女は繊細で過敏な性格だから刺激してしまったらマズイと思ったし、家の鍵すら開いてないどころか、開けてもくれないだろうと思ったからである。ましてや、警察など呼んだら余計に刺激してしまうことになる。

 

だからとにかく踏みとどまってくれることを祈るしかなかった。

 

そして、連絡が途絶えた二日目の翌日夜、共通の友人から連絡があった。緊急の要件があると。

 

その知らせを受け取った時、動悸が止まらなかった。

 もちろん覚悟はしていた。でも無事であったという連絡であってほしかった。

 

『彼女が亡くなったんだ』

 

その時、涙は出なかった。ただ、頭の中で、整理がつかなくて辛くてしかたがなかった。ひたすらタバコで紛らわすしかなく、夜は眠れなかった。

 

誕生日を目前に控えていた矢先だった。

 

電話を受けた後、先月最後に会った時、彼女と撮った写真に向かって、『ありがとう』と呟いた。

 

今後もまだ会えると信じていたし、その週末に東京で合う約束をしていて、某有名ラーメン屋や〇〇珈琲店、とあるキャラクターショップに行く予定だった。

 

東京で会う予定だった当日、彼女の告別式だった。家族葬で行うことになり、式は、彼女の幼馴染でもあり親友が行くことなった。

 

亡くなってから数日が経つ。今日に至るまで、やはり彼女のことが頭から離れない。

 

あの時、彼女の自宅へ行き、救出すべきだったか、今でも頭の中を交錯するけど。今更そんなこと言ったって時は戻らないのはわかっている。

 

もう、会えないし、声も聞けないのもわかっている。今でも、ふと語りかけられるように感じる時があったり、仕事してる時でも仕事に集中するどころか、時々思い浮かべてしまう。未練たっぷりなのかもしれない。でもこれではダメだと思っているし、正直毎日が息苦しく思う。

 

でも一番苦しかったのは、彼女だ。これは紛れも無い事実である。長年いろいろなことで悩まされたりして、思うようにいかずもがき苦しんだに違いない。

 

結局最後の最後まで、自分は何もしてやれなかった。

彼女と付き合った時を含め、いろいろ助けてもらったり、励ましてもらったにも関わらず。

 

付き合ってた当時、入社一年目、自分が部署をたらいまわしにさらて、心が折れそうだった時、彼女には本当に励まされた。だから、彼女とのデートを楽しみにしてひたすら耐えた。だからこそ入社から2年半の間、今の仕事が続けられてきたんだと思う。

 

この仕事に不満があるので辞めようと相談した時、

彼女は言った「働けるだけでも、十分なんだよ。私は、働くこともできないのに」

こっぴどく怒られたことがあった。

 

とにかく、ひたすら自分よりも年下の彼女から教わることばかりだった。

年上である自分は情けなく思う。

 

自分にとって彼女の存在は何かと聞かれたら、友人とか親友とか元恋人以上よりも、

 

むしろ「恩師」だと思っているから。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

今まで、本当にありがとう。

感謝しきれてもしきれないくらいだよ。

 

そしてお疲れ様。

 

今まで色々話したりして本当に楽しかったよ。

悩みを打ち明けたり、家の家事手伝ったり、介護手伝ったり、立派だった。

 

お前本当にがんばってたよ。

 

でも色々無茶してたんだよな。

 

自分の体も辛かったろうに。でもそんな忙しい合間を縫って、みんなのことを気遣ってくれたり、喜ばせたり、励ましていたよな。

 

自分も励まされたりして本当に助けられたよ。

でもさ、今は、自分だけに集中すればいいから。

 

あの世はどうなっているかわからないけど、

無事、天国に行けるように祈っている。俺にはそれくらいしかできないけど。

 

今まで君と出会えて本当に良かったと思う。

共通点も沢山あって、

うちらの出会いって偶然の確率だよねって話していたな。

 

恋愛初心者の俺だったけど、俺に嫌な顔せず色々教えてくれた。この経験で得たことを今後に生かそうと思うよ。

 

もう会うこともできないし、電話もできないと思うとすごく寂しくてたまらんわ。

 

いつになるかはわからんけど、

俺がそっちへ行ったら会いに行ってもいいかな。その時、またいっぱい色んな話しようよ。

 

それまで俺は、こっちでなんとかやってみる。

今は辛くて仕方がないし、時々思い出してしまう。暫くは続くかな。

 

そっちもそっちで今は大変かもしれないけど、頑張ってほしい!頼んだぜ!

 

またな。

 

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ハードウエアリプレイス

今週一週間は、色々とバタバタしていた。

 

①22日:IPhone8を購入

SIMフリー版のものを購入した。台風が接近しており、大雨の中、銀座のアップルストアまで出向いて、すんなり購入できると思いきや色々面倒で待たされたけど、無事に購入。

 

その後、画面割れ防止のガラスパネルも有楽町ビックカメラで購入。

 

帰宅して、さっそく開封。セッティング作業開始。iTunesでバックアップかけたり。ひと通り作業終えたら、夜の10時近くになってしまった。

 

②24日:IPhoneケース購入とONU交換

IPhoneケース

6で使っていたケースを8に着けたら、行ける!って思ったけど、裏面を見ると、実は、カメラのレンズ位置が、ケースを合わないことが判明したため、購入することに。6と同じ手帳型ケースにした。

 

ONU交換

交換を依頼していたNuroのONU無線LAN一体型)が届いて、交換作業を実施。

 

開通当初から使っているのは無線LANの11acに対応しておらず、フレッツ光とあまり変わらず、回線の速さがあまり実感出来なかった。

ネットで検索したら、11ac対応のものに交換してもらえることが判明。早速電話して対応していただくことに。

 

交換前

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交換後

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 こんな感じになって、改めてNuroの速さを実感!

 

③26日:MNP申し込み&SIM申し込み

MNP申し込み

ファミリー割引で、主回線になっていると、24時間できるネットで申し込むことができない。

 

なのでショップに行くか、電話で申し込むか。いずれも20時までだけど。

 

ショップは待たされるので、電話で申し込んだ。当然解約するということになるので、

オペレーターさんからは、こういう方法もありますがいかがでしょうかとかいろいろ進められたけど、何とか振り切って、MNP番号を取得。

主回線は母親に委ねることに。

 

・SIM申し込み

MNPを申し込んだ直後、IIJmioのHPへ飛び、SIMを申し込み。本確が必要になるけど、写真をアップロードすればよいだけ。面倒なのはこれぐらいか。

 

④28日:IPhone6との別れ

6が不要になったので、6を買い取りに出すことにした。買取価格は、1万1千円程度。

ここでミスったのは付属品。充電ケーブルとコンセントは入れたけど、イヤホンを忘れたこと。これがあれば+400円だった。

 

画面割れとか傷は一切なかったけど、

裏面とかに傷が数か所あり減額されてしまった。

 

それでも買取価格が1万円超えたから一応は満足。とはいえ6との別れは寂しかった。

初めてのIPhoneだったから。

ありがとうIPhone6!!色々な思い出を作ってくれて本当にありがとう!

 

⑤29日:SIM到着

申し込んだSIMが届いた。

 

すぐ使えるのか思いきや、設定してから数時間しないと使えないことが判明。

でも2時間ぐらいして使えるようになった。

 

今んとこ問題なく使えている。

回線スピードも極端に遅いわけでもなく。

結構使えると思われる。

 

交換作業は終了!

 

色々面倒だったけど、いい勉強になった。

 

格安SIMにした分、節約できるからその費用で旅行にでも行こうと思う。