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担任

先週寝ているときにある人のことを思い出した。

 

高校1年の時の担任ことだ。

 

わけのわからんプライドが無駄の高い教師ばかりで、

この学校の色にあまり染まっていない方だったので、

自分は正直安心していた。

 

たしか担当は、地歴公民だった。

 

非常にはきはきと話して、ようしゃべるなってそんな記憶がある。

 

でもその担任は一か月でトラックにはねられて事故で死んでしまった。

 

最後にあったのは、休み前に学年で群馬に遠足行ったときだった。

 

帰り際、疲れていたのか、バスで眼鏡外して熟睡していたのをはっきり覚えている。

 

まさかこれが最後になるなんて全く想像もしなかった。

 

事故は、この遠足の帰り際だったと後に聞いた。

 

翌週月曜日に学校に行き、教室に入ったとき、雰囲気がなんか違った。

 

違う教員が教団の前に立って一言。

 

「〇〇先生がなくなった。」

 

事実を知った瞬間だった。

 

そのあと、体育館で集会があって、色々話が合って黙とうとかした記憶がある。

 

クラスの雰囲気は当然真っ暗だ。

 

その日に先生の告別式があるというので、

 

クラスの中から数名の中から選ばれて、告別式に参加させていただいた。

 

学校から車で30分のところにある川越にある斎場まで行き、式場に入ったとき。

 

涙が出るどころか、何がなんだかさっぱりわからなかった記憶がある。

 

担任の遺影を見たとき、「やっぱり先生死んでしまったんだ」と。

 

担任は、当時40歳という若さでの死であった。

 

焼香をあげる時、家族の方に一例をしたが、奥さんと息子さんがいたけど、息子さんは

小学生ぐらいだったと思う。残された家族はどうなるんだろうと。

 

式を終えて、帰り際。

 

学園長もきていたのか、「君たち今日はどうもありがとうね」と一言いって、30のセルシオの後部座席にスッと乗って、一目散に退散していった。(いつも登場するときは、センチュリーなのに今日はセルシオか。どうしたんだろうと思ったが⇒いやそこじゃない)

 

担任が死んでしまうだなんて出来事が2002年当時高校一年。

 

高校に入って最初のイベントは、担任が事故で死んでしまうというものだった。

 

なくなった後の担任は、主担当として、学年主任とその年に入ったよくわからん若造先生。

 

二人とも体育教師で、生意気なことばかり言うもんだから、クラスが結構ぐれるというか、荒れていく一方になってしまった。まさに天国から時刻。

 

当然俺もこの二人は大嫌いであった。

 

ただでさえ入りたくない嫌いな高校だったのに。でもそれを一瞬いいところだと教えてくれたのは、この入学当時の担任だったと思っている。その後の担任は、ろくな奴じゃなかった。3年間だけでもこの先生が本当に素晴らしい先生だと思っている。

 

今年の5月でなくなってから15年。先生はあの世で何を考えているのか。

 

自分らのことなんか忘れてしまっているだろうが、

 

家族のことはものすごく心配しているだろうな。特に息子さんとか。

 

息子さんは当時10歳と聞いていたが、今年で25くらにはなるんだろうか。

 

立派に社会人として活躍されていることだろう。

 

 

先生へ。もしあの世で会えたらもう一度お会いしたい次第です。